オフィス R−reco

第七回 ≪旅スマ2対談≫は十一月中旬更新予定です

≪旅スマ2対談≫

・第六回 『2020年東京オリンピック開催決定が決まって・・・』
〜株式会社旅行新聞新社・代表取締役石井貞徳氏と
            トラベルキャスター&旅スマ津田令子〜

日の出桟橋出航・シンフォニークルーズにて
日の出桟橋出航・シンフォニークルーズにて

石井  オリンピックは人生2回目です。1964年に開催されていますが、私は中学2年生でした。まさか2回も東京オリンピックを観れるなんて思いもしませんでした。
津田  学生時代に、オリンピックというビックイベントを経験しているのですね。



石井  わくわくドキドキしましたね。今でも覚えていますよ。
津田  特に注目したのはどんなスポーツですか。
石井  私は野球をしていましたが、その時代は種目にありませんでした。それぞれ競技に対する世界のアスリートの凄さに圧倒されていました。
津田  野球ですか。社長のイメージと合っているようなそうでないような感じですね。
石井  そうですか(笑)
津田  当時見に行かれたんですか。
石井  それが、そばでやっているのに見ていないんです。テレビ観戦で悔しい思い出がありますね。7年後にもう一度観られるなんて楽しみで、今度は一つでも多く実際に観てみたいです。オリンピックの時にシンフォニークルージングから選手村や周辺を見るのもいいかもしれませんね。そのプランも模索中です。
津田  先取りでシンフォニーで下見させていただきましてありがとうございます。1964年のオリンピックと、今回のオリンピックでの期待、どのように違いますか。
石井 純粋無垢な時代とはやはり違いますよ。世界の人間って凄いな〜ってテレビの前にかじりついて感じていました。バレーボールで、『東洋の魔女が金メダル』とった興奮。アベベが裸足で走っているところなど。とにかく少年時代に感じていました。次のオリンピックでは、もう70歳になっていますからもちろん感じ方が違うでしょう。1964年の時には、こんなふうに日本が発展するとは思いませんでしたね。
津田  今度のオリンピックではどういうスポーツを見てみたいですか。
石井  いろんなスポーツを見てみたい。1964年ではバレーボールとマラソンに興奮しました。今度のオリンピックは競技だけでなく街全体、どういうふうに日本は受け入れるのか、どんな対応をするのかなど興味ありますし、関わっていきたいですね。
津田  経済的なものも含めてオリンピック全体をどういうふうに動くのか知りたいということでしょうか。
石井  日本の対応、おもてなしを世界の人たちにどのように表現するのかみてみたいですね。それと宿泊施設側のコミュニケーションなども。どういうふうに迎い入れるのか。そこが一番知りたいし見てみたいことですね。私も観光に携わっている人間なので、いろんな意味で関わっていたい。
津田  社長はいろいろな関わりを持って奥深くオリンピックを迎えたいということでしょうか。
石井  そうですね。日本の観光特に旅館、観光、旅を愛しているので、自分も片隅でもいいからオリンピックに関わっていたいと思う気持ちが強いのです。
津田  しかし、日本人というのは奥ゆかしい、前に出ることに慣れていませんよね。それだと、コミュニケーションをとれない。社長はどう考えますか。
石井  今までは自国でやっているだけでよかったかもしれない。これからは、世界での勝負ですよ。それには自国の文化を日本人一人ひとりが自ら前に出て発信していく努力が必要でしょう。それは大きな一歩でなくていいんです。小さな一歩、半歩でもいいから、日本という素晴らしい文化、風土、気質というものを、もっともっと世界の人たちに知ってもらいたいと思っておりますし、私も発信してきます。



※この旅スマ2対談は毎月21日に更新される予定です